つくり手の『くらし』 芸術鑑賞は”実”である 造形家たしまねん

2020年05月02日

新型のウィルス騒動が本格的になってから3ヶ月ほど経ちますか。
その間僕は、2月の終わりからの一週間は神戸三宮での展示会、3月下旬の10日間は東京の阿佐ヶ谷のギャラリーで開催した2人展を開催、参加しました。
お客さんは残念ながら少なかったけれど、その分じっくり見ていただきました。


つくり手の『くらし』 芸術鑑賞は”実”である 造形家たしまねん
つくり手の『くらし』 芸術鑑賞は”実”である 造形家たしまねん
阿佐ヶ谷での展覧会の様子


しかし、4月5月6月には大小6つのイベント、展覧会がありましたが中止が決まっています。
また、3月の上京の際、せっかくなので展覧会、映画を観ようと思っていたのですが、軒並みやっていなくて残念な思いをしました。

先日作家の高橋源一郎氏がパーソナリティーを務めるラジオ番組で、現代詩作家、随筆家の荒川洋治氏が2003年に出版した「忘れられる過去」を取り上げていました。
その中でこんな一節があります。

「文学は実学である」
 この世を深く豊かに生きたい、そんな望みを持つ人に成り代わって才覚に恵まれた人が、鮮やかな文や鋭い言葉を駆使して本当の現実を開示してみせる、それが文学の働きである。
 だが、この目に見える現実だけが現実であると思う人が増え、漱石や鴎外が教科書から消えるとなると、文学の重みを感じるのは容易ではない。文学は空理空論、経済の時代なので肩身がせまい。
 文学は経済学、法律学、医学、工学などともに”実学”なのである、社会生活に役立つものなのである、と考えるべきだ。特に社会問題が人間の精神に杞憂する現在、文学はもっと”実”の面を強調しなければならない。
(中略)
 ー(優れた)文学作品を知ることと知らないこととでは人生は全く違うものになる。それくらい激しい力が文学にある。読む人の現実と生活を一変させるのだ。
 文学は現実的なもの、強力な”実”の世界なのだ。文学を”虚学”と見るところに大きな誤りがある。

現在世の中が置かれている状況には賛否両論あろうかと思います。
新型のウィルスが国内に持ち込まれてから、恐らく半年になろうとしています。
各時期をどれだけ分析されているのか?現在出ている様々な数字の分析もしっかり多方面からされているのか?先の見通しは果たして広い分野から分析されているのか?
それらが不明瞭のまま学校は閉鎖され、文化活動も制限されています。
”実”とされる医療、医薬品、食品などは不自由とされないのですが、美術鑑賞、舞台や音楽、映画鑑賞を始め、図書館利用や海岸散歩、公園の遊具まで”虚”とされ、我慢を強いられています。
”実”とされるものだけでの生活の2ヶ月、もしかすると3ヶ月がもたらすものが、特に子供達や若者の将来にどう影響するか、とても心配です。

つくり手の『くらし』 芸術鑑賞は”実”である 造形家たしまねん
うちの近所の公園は閉鎖されていませんでした
誰も遊んでいる子供はいなかったけど


荒川洋治氏の「文学は実学である」の項はこう締めくくられています。

 科学、医学、経済学、法律学などこれまで”実学”として思われていたものが”実学”として怪しげなものになっていること、人間を狂わせるものになってきたと思えば、文学の立場は見えてくるはずだ。(荒川洋治著『忘られる過去』より)

美術館やコンサートに自由に行け、子供達が遊びまわる世界に早く”戻す”ことに期待しています。

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